1月3日は母の誕生日。
お正月に実家に帰ると、毎年一緒に初売りに行って母の誕生日プレゼントを買うのです。
牧場での生活がスタートしてからは、お正月休みは勿論なし。
実家は同じ北海道内なのですが、車で5時間ほどの距離があることと、なにより牛たちを牧場に残すことができず、なかなか帰省することができません。それでも毎年1月3日には小包で贈り物をする慣習は続けていたのです。
昨年はふかふかで温かい、ダウンベストを贈りました。
大切に着てくれていた、ベスト。
写真左が母。お気に入りのベストに身を包み、父の腕をとり歩く後ろ姿。
いっしょにいる。それだけで、しあわせだと感じたあの日。
これが、母と過ごした最後の日。
二度と会えない母の、最後の姿となりました。
母の病気を知ったのは、さかのぼること3年前。
2022年2月18日
牧場での研修1年目が終わろうとしている冬のこと。
牧場近郊では大雪が降り、トラクターでの除雪作業をしていた昼さがり。
父からの電話を受けて、時が止まりました。
母の突然の入院
膵臓がん
ステージ4
医師の診断書を取り寄せると、そこには変えようのない事実だけが無感情につらつらと綴られており、ただ紙の上に文字が置かれているだけの冷酷な内容に感じました。
なんの前兆もない、あまりにも突然すぎる告知。
冷たい雪が降る北海道で、心細かったあの日。
こんな気持ちの時こそ、誰よりも母の声に助けられてきたのに。
その日からなんと約2年半もの間、母は病と闘いました。
闘病期間は家族の闘いでもありました。
「もしかしたら今日が最後かもしれない」と毎日思いました。
自分にできることはひとつ。
いま目の前の景色を、母に見せたい。
明日への生きる希望を届け続けたい。
その一心で
告知を受けたあの日から、2年以上、1日も欠かすことなく、
写真付きの日記を母に送り続けました。
牧場生活の記録を毎日毎日、送り続けたのです。
その日記にはいつしか、母からのコメントがつくようになり、
私と母だけの、秘密の交換日記が2年以上続きました。
私は一人っ子で、お母さんっ子。
大人になって離れて暮らすようになっても、一人息子の私をいつも気にかけてくれた母。
私が自分の牧場をもつために研修を続けていることを、いつも心配して、応援してくれた母。
そして上山牧場の誕生を誰よりも心待ちにしてくれた母。
間に合った。
上山牧場を見せることができた。
ほんの少しだったけど、確かにここで、一緒に過ごした。
そして息子が夢を叶える姿を見届けた昨年夏。
2024年7月14日
母は旅立ちました
ラベンダーのきれいな、暑い夏の日に。
父からの知らせを受けた電話を持つ指の震えが止まらなかった。
全身から一気に血の気がひいて、心が空っぽになりました。
そして何も考えず、実家にかけつけました。
こんなに近いなら、もっと会いに来ればよかったな…。
そこには父が待っていて、そして、母が、待っていました。
つい今さっきまで、母の日常があった空間が、「その時」で止まっていました。
次に飲む予定だった大量の薬。
やせ細った右手には、点滴の跡。
手は冷たいけれど、まだやわらかかった。
お母さん!ごめんなさい。
会いに来たよ、もう頑張らなくていいよ。
お父さん、ありがとう。
最後までお母さんのそばにいてくれてありがとう。
・・・
ふと、葬儀の連絡をするために母の友人の連絡先を調べようと、
母のスマホを開いた瞬間、こらえていた感情が、せきを切ったように溢れてしまいました。
母が息を引き取る前、最後に見ていたのは、このブログだったのです。
こんな息子のことを、さいごまで気にかけてくれていた。
だから、いつの日か、気持ちの整理がついたら、母のことを必ず日記に書こうと心に決めて、
そっとスマホを閉じました。
あふれた大粒の涙を拭い、顔を上げると、
部屋の一番目立つ場所にかけてあった、見覚えのある服が目に入ったのでした。
30℃を超える、こんな暑い夏の日に…。
胸にドライアイスまで抱いて、冬物のあったかいダウンベストなんて必要ないじゃん!!
誕生日、嬉しかったんだなと思った。
ごめんね、愛してくれて、ありがとう。
もしもしお母さん?
今日はこんなことがあったんだよって。
もっともっと、いろんな話をしたかったのに。
2年半の間、毎日毎日、ずっと覚悟はしてきたけれど、いざその日を迎えると全然受け入れられないんだなって。
牧場に帰って、あれからたくさん本を読みました。
何か、答えが欲しくて。
医学、生物学、哲学、宗教、あらゆる観点から「死」とは何かを考えました。
でも、ほとんど何もわからなかった。
ただ一つ、「死」とは、二度と会えないということ。
それだけが、わかりました。
本を読んでも、仏壇の前で手を合わせても、空を見上げても、夢の中にも、どこにも母はいなかった。
会いたいよ。毎日さがしているよ。
声がききたいよ。どこにいるの?
でもある日、何気なく牧場で仕事をしていた時、
生まれてきた子牛をみた瞬間に、ハッとしたのです。
そして、ふと、ある人から言われた言葉を思い出しました。
母の葬儀の時に、久しぶりに会った親戚のお姉さんから言われた言葉。
「あなたにはお母さんの面影がある。お母さんにそっくりだね」って。
それは、なんの気なしに交わした挨拶の会話でした。でもその言葉に、今、突然救われた気がしたのです。
生まれたての子牛のへその緒を見て、私自身の、おへそを優しく触ってみた。
お母さんは、ここにいる。
この顔立ち、この体質、この性格、感性、判断基準、そして愛…
そのすべてが「おへそ」を通じて母から授かったものだということ。
自分の中に、母は存在しているんだってことに、気がついた。
そして少しだけ、心が軽くなりました。
上山牧場のシンボルマーク
牛柄の黒斑をよく見ると、向き合う親子の牛のシルエットが浮かび上がってくる仕掛けが施してあります。
これは母の闘病中に思いついたアイデアで「母子の絆」を表現できないかと試行錯誤した結果、この形になったのです。
牧場にいる搾乳牛たちは、みんな母親です。産業動物である牛は、工場の機械とは違います。
子牛を産んで、本来子牛のために生乳を生産する、母親なのです。
私が母からもらった愛情のように、酪農とは、母から子へと受け継がれる愛を大切に育てていく産業なのだと思います。
母と子の牧場
それが、母への誓いでもあるのです。
後日、母の部屋から手紙が出てきました。
お迎えが来たことを悟ったかのような内容で。
いつもの母の字ではない、乱れた筆跡。
さいごの力をふりしぼって書いてくれたのかもしれない。
いつもありがとうが足りなかった。
本当にありがとう私の息子で!ありがとう
お母さん、ごめんね。
ありがとうと言おうとするけれど、いつも先にごめんねが出る。
2025年1月3日
67歳になるはずだった母の誕生日。
大好きな母に、感謝の気持ちを込めて
この日記を贈ります。
お母さんの息子で
しあわせだった
かみのすけ
ことしもよろしくかみちゃん
かみちゃん、ほんっとうに激動の2024年だったんだね
おかあさんとかみちゃんのツーショット、とってもいい写真だね
かみちゃん、応援しております
> どんぱさん
コメントありがとう!いつも応援してくれて嬉しいです。
うん、激動の1年だった。
今年はお互い平穏な年であるといいね~
ことしもよろしく